妻との対話「なぜ人はブログを書くのか」

妻は「あなたみたいにブログを書く人はよくやるわねえ、私にはできない」という。なぜかと聞くとこう答えた。

自分の思索を記録する目的であれば誰にも見られない日記を書けばよいではないか。誰か伝えたい人が明確にあるならその人に宛てて手紙なりメールなり書けばよいではないか。なぜ誰が読むかわからない不安定な場所に自分の考えを公開するのか。

それに対して私はこう答える。

世の中に星の数ほどブログがある中でその内容を悪用しようとする人がいてもその人に遭う確率は非常に低く、ほとんどの読者は私の知り合いである。また私はブログの中では自分または登場人物が特定されない書き方をしているので、セキュリティー的には問題ないと思う。
私の知り合いである読者みんなに対して私の意見を(世間の常識に照らして一定のフィルターを通したものにならざるを得ないが)書き殴り、私が関心を持つこと、また心を動かされていることを知ってもらい、あわよくばコメント等で対話するのは私にとって楽しいことだ。

普通このような対話をするには気のおけないメンツでしかるべき酒量を摂取し胸襟を開くというプロセスが必要になる。そしてこれこそがギリシャ時代から連綿と続くシンポジウム、私の愛するプロセスだが、ブログを使えば地理的に離れていて、または忙しくて会えない人、さらには居酒屋に行って血中アルコール濃度を上げなくてもシンポジウムが仮想的に開催できる。相手からは対話を始められないので、正確にいうと双方向の対話ではなく私からの一方的な対話ではあるが、相手が断片的にでも私の問題意識を把握してくれれば、次回リアルなシンポジウムにおいてその進行、また対話の内容がより深まるのではと期待する。

要は飲みの延長、またはその仕込み、ってことですね(笑)