サッカーと幼い日の記憶

サッカーを習い始めてしばらくたつ息子は休みになると私に「サッカーしよう」とせがむ。公園に行ってパスの練習をしたりPK戦のマネごとをするのだが結構彼なりに一生懸命やっているのが微笑ましい。今日は夕方から始めて暗くなるまでやっていた。あたりが暗くてボールを一生懸命追っかける、この情景に既視感があるなあとふと思い、ああ、と幼い日の記憶が鮮やかに思い出された。


私がちょうど今の彼くらいの小学生の頃、男子は赤いカープ帽を被ってヒマさえあれば野っ原で野球、というのがデフォルトだった。野っ原でできない時は道路で三角ベースをやったり手打ち野球をやったり、とにかく野球漬けだった。別にプロになろうとかではなく、それがその当時もっともポピュラーな子供の遊びだった。

私の父親は休みの日、時間をみては野球の練習をつけてくれた。それはひたすら彼がノックをし私が何とか取る、という当時の常識に沿った(笑)かわいがり方だった。彼は(今思うと加減してくれてたのかもしれないけど)容赦なく取りにくいところにショートバウンドや強いボールを打ってきて、顔にあたったりお腹にあたったり私にとっては辛いものだった。腰を落とさず捕球したり球の正面に行かずに捕球したりすると厳しく指導された。辛いのだが二人の間の意地の張り合いと同時に妙な高揚感が出てきて、長時間にわたった記憶がある。暗くなって球が見えなくなるまでしたこともあった。特に会話もなく、父も私も汗だらだらでひたすらボールを打って捕ってだったが、なぜか今でもその情景をよく覚えている。今思うとそれは父子ですごく濃密な時間を共有していた黄金の時間だったことがわかる。


彼もその時間を私と過ごしてくれているのだ。私の強いパスを懸命に止め、なんとか私のゴールを割ろうと稚拙なテクニックを使って四苦八苦する息子を見ていて、親子っていいなあ、となんだかジーンときた。これから息子がいつまで私にサッカーしよう、と言ってくれるのかわからないけど、彼にそう言ってもらえる限りなんとしても一緒に球を追おうと思った。